「全道展」―個が集団を突き動かす美術団体― とは

 戦火が激しくなり、東京から北海道へ疎開してくる画家たちが多くなった太平洋戦争末期、芸術に対する強力な理解者であった資産家中根光一氏は、札幌・中島公園の一画にあった邸宅 (中根邸 )に疎開作家を招き、交流が深まる。終戦後、中根邸は「札幌洋画研究所」として開放され、そこに集った多くの道内在住作家も加わりそれが全道展創立の母体となった。さらに北海道新聞社 ( 関口二郎氏 ) の奮闘協力もあり、北海道の美術文化の刷新に寄与することを目的に、全道美術協会は 1945年(昭和20年)12月に創立した

 創立会員は居串佳一、池谷寅一、一木万寿三、伊藤信夫、岩船修三、上野山清貢、小川マリ、小川原脩、菊地精二、木田金次郎、国松登、斎藤広胖、高橋北修、田中忠雄、田辺三重松、西村貴久子、橋本三郎、松島正幸、三雲祥之助 ( 以上絵画 )、山内壮夫 ( 彫刻 )、川上澄生 ( 版画 ) の計21人で、1946年(昭和21年)6月に創立展、同年11月に公募展として第1回全道展が開催された。第4回~ 6回展で伊本淳、佐藤忠良、本郷新、本田明二が加わり全道展彫刻部の礎を築く。その後、モノタイプ版画で国際的な評価を得た一原有徳など、現在に至るまで多くの作家を育み、戦後の北海道美術界に大きな足跡を残してきた。全道展は創立会員小川原脩が掲げた「個が集団を突き動かす」という哲学のもとに集団のための個であってはならない、ボスを作らない、というのが全道展会員の共通理念としている。

創立当時の会員たち  右から小川マリ、松島正幸、岡部文之助、国松登、三雲祥之助

 創立当初、疎開作家が多かったため中央との繋がりが強く、様々な中央公募展に出品活躍している作家も多い。他の公募展作家との横の交流も盛んである。NHK の朝ドラ「なつぞら」で話題となった神田日勝をはじめ、木田金次郎、川上澄生、本郷新、斎藤清、小川原脩、伏木田光夫など個人美術館を持つ作家、公立、私立美術館に作品が収蔵されている作家も少なくない。

 全道展を離れた会員の中にも佐藤忠良、難波田龍起、安田侃ら日本を代表する作家も全道展の中核で活躍してきた。絵本の分野で数々の国際賞を受けた手島圭三郎も会員である。全道展は絵画、版画、彫刻、工芸の4部門で構成されており、毎年6月に札幌市民ギャラリーにて開催している。

また、全道展設立時の様子は「全道展そのなりたち 本田明二 (1975年 第30回目録より)」に詳細が書かれています